タバスコくんのプロレス話(三沢光晴)。
今年27の代の人(1992年生まれ)で、プロレスファンってどれだけいるんだろうか…❓Amazon Prime会員限定の「有田と週刊プロレスと」を観て、気持ちが再燃した。プロレス好きの同年代に自分はこれまで2、3人しか会ったことない…。中学1年の夏に自室で深夜の日テレNOAHダイジェストをたまたま見たのが始まり。
プロレスで一番驚いたのが他のスポーツに比べて圧倒的に平均年齢が高い事(当時三沢は43、藤波は54)で、そういう選手が第一線でタイトル戦とかメインイベントやってる事。30なんて全然若手扱いで、40代近くに団体エースが揃ってる。当時の実家のスカパーにはプロ野球パック(月/3900円)で入ってたけど、勝手にサムライTV(月/4000円位かな…高けぇw)も契約しといた。んで、毎月の書面での請求書を破棄するにチェックする鬼畜っぷり。中1ぐらいでだいたいこういう事覚える奴いる気がする。
それから実家を出るまでの6年間ずっとプロレス漬け(自分は野球部)。過去の大会とか全日時代の試合、闘魂三銃士の全盛期もゼロワン、WWEも観た。個人的な序列は、四天王プロレス>NOAH>全日>新日>ゼロワンって感じ。つまりは三沢・小橋のプロレスが好きという事。
全日四天王(秋山も入れた5強)から三沢・小橋・田上・秋山が中心となって新団体NOAHを設立。最初のGHCヘビートーナメントには高山善廣も参戦し、一気に時代が変わったと思う。全日の激しさも踏襲したまま、入場の華やかさとジュニアの強さを持った団体だった(ヘビーが育てられなかったとも言える)。
2003年の小橋vs三沢はよくベストバウトに挙げる人もいるけど、三沢の衰えが明らかでコンディションも良くはなかった。確かに花道からタイガースープレックス、フィニッシュのバーニングハンマーとか危険は技は多かったけど、あまりに場外戦が多くて「ちょっとな…」という印象。2005年の最後の川田戦も同じく。ほぼエルボーで試合を組み立てて、タメが少なくなったエメラルドフロウジョンにブリッジができなくなったスープレックス…。この頃の三沢では2004年の三沢・小川vs丸藤・KENTAのGHCタッグ戦が一番いい試合だと思う。三沢・小川組が25歳、23歳のジュニアタッグに奇襲を仕掛けられ、危うく3カウント…まで追い詰められた。最後はエメラルドフロウジョンで貫禄を見せて勝利。試合後に三沢が「そんじょそこらのヘビー級じゃ無理でしょうね。」というコメントがジュニアから始まってジャンボ、ハンセン、ベイダーとか超大型レスラーと戦ってきた背景も見えてきて良い。
三沢の全盛期は多彩なエルボーにコンディション良ければ出すフライングラリアット、170キロのベイダーを挙げるタイガードライバーにタイガースープレックス、98年からエメラルドフロウジョン。ここまでの技がある上に打っても打っても立ち上がる姿の敬称は「ゾンビ」。正直185cmの三沢は全日のヘビーとしてはあまり大きくなかったけど、異常にタフだった。全盛期の三沢を完全にピンフォールできたシングルレスラー(ブックもあるでしょう)は、小橋(バーニングハンマー)と、秋山(スターネスダストα)、川田(垂直落下パワーボム)位かな。どれも危険すぎて、通常のフィニッシュホールドじゃない奥の手ばかり。逆に三沢も奥の手としてタイガードライバー91、断崖式エメラルドフロウジョンを持っている。いわゆる「四天王プロレス」と言われた、試合時間が30分超えは当たり前、極め技でのギブアップは無し、全てのフィニッシュがピンフォールで奪うことを求められた、見世物のプロレスとしての極地。
↑この動画の最後の三沢に対する川田が恐ろしい程エグいw もう脳天から刺さってるから受け身とかそういうレベルじゃない笑
四天王プロレスはとにかく激しかった。この時代のダメージの蓄積と加えて休めないっていう社長業が、2009年に試合中に亡くなるっていう悲劇を起こしたのは間違いない。その前年、高1の私は1人で秋田大会で実際に拝見したが、かなりコンディションは悪そうだった。もう全然動けない。エルボーもショートレンジで出して、スープレックス・ドライバーは小川との合体技でしか出せなかった。この約1年後に潮崎豪とGHCタッグマッチで齋藤・スミス組と戦ってリング禍になってしまうのだけれど、その試合も潮崎vs2人って感じ。凱旋帰国して潮崎は一番勢いも実力もあった時期だから、なんとか誤魔化してたけど、もうほんとエルボー数発出して、潮崎にタッチ。最後のバックドロップはほんと角度も何も普通のレベル。鶴田、川田のバックドロップなんてそれの比じゃない角度で喰らってた。試合前は本人も「最後の挑戦かも」って言ってたし、一線からの引き際は考えてたのも間違いないけど結局決断はできなかった。
悲しいかどうか、三沢が教えてくれたことは「無理をしない事」。小橋は幾度とない怪我を超え、超満員札止めで豪華な引退試合ができた(自分も行きました)。田上は三沢の跡を継ぎ社長となったが、三沢の様にメインイベントに出ることはまずなく、小規模な引退試合を行なった。川田は三沢の死後、NOAHに定期参戦していたが、モチベーション、コンディション不良によりほぼ引退。
四天王プロレスは無くなった中、5強だった秋山がまだ第一線で全日GMとしてリングに立っている。
久々に全日観に行こうかな。
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